・エリア:山鹿市

・ジャンル:文化・歴史

・発行日:2013年07月01日


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近代の山鹿の偉人たちシリーズ024~高橋廣湖~

  • 若くして急逝、日本画で新たな境地を開拓

     高橋廣湖(本名浦田久馬記)は、山鹿市松坂町で画塾を営む浦田家の長男として生まれる。父の浦田長次郎(号観松堂雪長・雪翁)は城北地区の神社の絵馬にその名前を多く残している。また、弟の浦田四郎(号廣香・湖月)は八千代座の天井広告画の絵を描いた。
     東京の有名な名妙で女優の今紫(本名高橋こう)が熊本市の東雲座で公演中、廣湖は舞台上で華麗に舞う今紫の踊りを毎日通いスケッチしていた。その絵を見た今紫に才能を認められ、明治30年に上京して養子となり高橋家を継ぎ、本格的に日本画の勉強を始める。このことは当時の新聞に美談として掲載され話題をさらった。
     歴史画の大家の松本楓湖の門に入り、めきめきと腕を上げ、その名の一文字をもらい廣湖と号した。歴史画を中心に、仏画、美人画、花鳥画、山水画、風俗画など幅広いジャンルの優れた作品を手掛ける。伝統的な日本画を基本に西洋画の表現を加味した和洋折衷の画風が特徴。横山大観たちとともに活躍したが、おしまれつつわずか37歳の若さで急逝した。日本画家で同じ郷土熊本出身の堅山南風の師でもあり、日展の重鎮として活躍した浦田正夫の叔父である。
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